突然ですが、
私は書くことが大好き人間です(笑)。
「毎日何かを書く」というリズムがきちんと繰り返されている時私の毎日はとても穏やかに進んでいる時です。
ここが乱れてくると同時に生活も乱れます(笑)
自分のブログでも書きたらず、さらに眠る前に必ず日記を書いています。
日記は10代の時から習慣で書かないと、歯を磨いていないより気持ちが悪く、どんなに眠くても出来事だけは記す癖があるのです。
日記を書くという行為でつらかったことも、自分なりに解釈して受け入れていけた体験もあり私にとっては日記はいいことずくめ、です。
10数年前の◯月◯日に何が起こったか、何を感じているか、誰に会ったのか、等が一目瞭然です。
好きなことは、続くのです(^^)
そもそも続かないことは手を出さないのが一番ですね(泣)
書いている内容は一貫して、自分の内面のことばかり、です。
自分が発見したことや、自分の心の変化を観察することが面白くて、日記を書く手が追いつかないほどいろんなことが頭の中に飛び交っているわけなのですが、それは10代の頃からちっとも変わっていません(笑)。習慣とは、面白いものですね。
日記はブログなどと違って「誰にも見られることがない」というお約束ですので、何を書いてもOKです。
手で書く、それも毎日毎日書くことで、脳細胞にひとつの命題が刻み込まれるような気がしてくるんです。
「こんなのがいいなあ」と抽象的に考えるのではなく、それをより具体的に、自分の手を使って紙に落としていく、という作業は、やりはじめると実はもう止まらなくなるほどの快感です。
私は毎晩日記を書くわずかな時間が一番落ち着きます。
おそらく人が見たらびっくりするような内容もあります。
小さい頃から頭の中で勝手にストーリーを作って想像の中でニヤニヤして遊ぶ妙な子供でしたが今でもその癖は治っておらず、登場人物を勝手に設定し、ニヤニヤワクワクしてくるような脚本をたて、妄想の中で起こってることをさらにニヤついた顔で深夜に日記に記していきます。
怖いですか?この姿は・・・(笑)
5年ほど前、まだ吉本歯科医院が母性型経営ということを実践しはじめる前、私の書いた文章はひどく荒んでいました。
心の中がいつも騒がしく、落ち着きがなく、それはそのまま文章に表現されています。
もっと頑張って仕事しなきゃ、勉強しなきゃ、もっと情報を入れなきゃ、もっとスタッフを教育しなきゃ、もっと人と交わりを持たなきゃ、って、思い込んでいたんだと思います。
外へ外へと目が向いている時、心の中はすっかり空っぽです。
そういう時というのは、起こる出来事は全て「人のせい」です。
自分の抱えている状況がうまくいっていない原因を自分の外に探しているんです。
今思い返すと、うまくいかない原因はすべてその一点、つまり問題を「人のせい」に転化することに尽きるのですが、その簡単な因果関係がわからなくなるほど、心の中は荒れていたんだと思います。
心が落ち着かなくなった大きな原因のひとつは、溢れる情報を頭の中に入れすぎたことと、人と安易に浅く広くつながりすぎたこと、です。
ここ10年でネット社会が普通になり、デジタル化が進み、私達一般の生活者が受け取る情報の量も圧倒的に増えました。
これに伴い頭を使う量が増えただけでなく、生活も便利になったと同時により複雑になってきました。
人は誰しも、心の中に向かっていく世界と、自分の外に向かっていく世界の両方を持ち合わせていると思います。
しかし、今は圧倒的に自分の外へ外へと向かう方が多くなっています。
さらに増えるでしょう。
自分の心と静かに向き合うことは簡単なことではなくなりました。
今日の自分を振り返る
心の中を静かに落ち着ける
そういう機会は実際に私達の生活の中に減ってきています。
人間には社会や自分以外の外とつながり、人々からの呼びかけに応えたいという欲求があります。
またその反面、外の世界や多くの人との繋がりから離れ自分の内面と深く向き合う時間や場所を強く求めたいという欲求もあります。
みんなと繋がりつつ、一人の時間を持ちたい
という矛盾です。
私は、この数年での山あり谷ありの体験を経て学んだことがあります。
それは、心の中を整えれば、外の現象は全て整っていく
ということです。
職場は人の集まりです。
10人いれば10人の心の中身があります。
一人の人間の心の中身が荒れていつも落ち着かずざわざわいらいらしていたなら、その波はあっという間に10人に伝染します。
逆に一人から二人、三人と心の中が整って落ち着いていけば、10人にあっという間に伝染します。
場の空気を作っているのは、インテリアや音楽だけでなく、一番大きいのはそこにいつもいる人の心の状態です。
心が落ち着いている人と、心が荒れてざわざわしている人とでは同じ出来事が起こっても感じ方が全く変わってきます。
落ち着いている人は
起こる事を、「肯定的に」受け止め、そして次のアクション移せるような思考をします。
逆に
心が荒れてざわざわしている人は
起こる事と、すべて「否定的」「悲観的」に受け止め、そこで行動と思考が止まります。
「だから、私はダメなんだ」「あの人のせいだ」という風にそこで止まってしまうのです。
ネット社会になり、私達は人と簡単につながることが増えてきました。
直接会って話すのは苦手だけど、メールでなら心の中身を打ち明けることができたりします。
もともとシャイな日本人には最高のツールだと、思います。
しかし、便利で刺激的な反面、とても大切なものが失われていくこともうすうすは感じています。
浅い関係や浅いつながり、表面的な関係は、何か出来事が起こればあっという間に削除されてしまいます。
奥深さを感じない人と何時間一緒にいても、つまらないと感じるだけ、です。
私は今いてくれるスタッフ達それぞれのふとした行動や態度や言葉に、何かしらの「奥行き」や「奥深さ」を垣間見た瞬間に、ぐっと惹き込まれます。
ああ、素敵だなあ、と思いますし、こういう人にいてもらって良かったと改めて感じるものです。
そういうことを感じさせるから、一緒にいたいと再確認するわけです。
つまり、飽きない(笑)
その「奥深さ」や「奥行き」は何から生まれるのか?と言えば決して外からの溢れる情報や知識をよく知っているからでは、ありません。
その人が本来持っている謙虚さや、控えめさや、人への配慮を見た瞬間に感じるわけです。
自分を振り返る習慣を持っている人
というのは、素敵です。
いつもいつも、毎日毎日、「自分はどうだろう?」と振り返る人は、素敵に見えます。
振り返りができる人は、深みを増していくと思います。
ものの考え方や、見方、時間の使い方、人との付き合い方、仕事の仕方、すべては一人の人間がしていることなので、「浅い」人と「深い」人では、何もかもが違ってきます。
じっくりと考える
自分の感情を見つめる
深く考えていく
逆の見方をしてみる
こういったことは、人が人生を重ねていくうちにいろいろと体験するにつれ身に付けていくことだろうと思います。
そしてそれは、自分の内面といつも向かい合っていないと身についてはいかないものだとも、思います。
どんなに自分の外側を取り繕っても、知識を脳ミソに詰め込んでも、「深み」」というものは蓄積されない、そう思います。
振り返りができる人は、成長していくことができます。
逆に振り返りができない人は、いつまでたっても、「自分の状況がうまくいかないのは人のせい」で止まってしまうんだと思います。
今、吉本歯科医院では受付のサポートをしてくれるスタッフを募集しているのですが、受付の松本に、「どんな人に来て欲しい?」と聞いたところ、びっくりするような答えが返ってきたんです。
「何か尊敬できる部分を持っている方、自分を成長させてくれるような方に来て頂きたいです」と。
ほう、そうきたか、と私は嬉しく思ったと同時に、改めてやはり松本は「奥行き」のある女性だな、と感じました。
松本にとって、関わる人は、「尊敬できる人」であって欲しいのです。
「尊敬できる人」からは、学べるものがあります。
学べることがたくさんある人のそばにいると、自分は勝手に成長していけます。
その人の中に、その人の心の奥に、「もっと先があるんだろうな」「もっと奥があるんだろうな」と感じた時、私はとても惹き付けられますし、そういう人と一緒にいたいなと思います。
それは職場での人間関係でも、まったく同じです。
長い時間一緒にいる人なら特に、一緒に深まっていけるような人と何かをしたいと、思うものです。
外に外に広げるのではなく、情報をあえて遮断し、じっくり静かに自分の心の中に向かっていく時間が必要です。
自分を振り返り、心の中をシーンとした湖面のように落ち着けていく習慣があるだけで、
起こる現実は確かに変わります。
それも、驚くほど、はっきりと、変わります。
イライラした心模様が習慣の人は、同じような人と出会い、イライラした人間関係を構築し、仕事も仕方も同じようになってしまうのです。
心を落ち着かせるキーワードは、「安心感」です。
安心感が十分に満たされている時、人は能力を発揮しはじめます。
安心感がベースにあるから、刺激を上手に受け止めていけるんだと、思います。
今はてんで、逆になってしまっているのです。
溢れる刺激、溢れる危機感は次から次へと押し寄せます。
基盤となる「安心感」がないのに、です。
ゆったりと地に足がついている感じ
ほんわりとして穏やかな雰囲気だけど、芯の強さを感じる
感情のアップダウンが少ない
内面が充実してくると、人はこんな雰囲気になってくると私は思います。
私は当院でいてくれるスタッフ達といっしょにこんな風になっていきたいなあといつも思っています。
そのために、土壌をいつも耕していたいなあと思いますし、土壌さえ良ければ、そこに何を植えても栄養をぐんぐん吸い込み、勝手に成長していくと、思っています。
誰しも自分の人生には意味があると、信じたいです。
自分の存在をもっと重要視してくれる人に出会いたいんです。
「あなたはこんなところが素晴らしい」と自分でも気がつかなかったような魅力の引き出しをたくさん引っ張り出してくれ、繰り返し繰り返し言葉をかけてくれる場が必要なんです。
誰だって、欲しいでしょう?そんな場所、そして、そんな人に(笑)
私だって、欲しいです(^^)。
そんな人を見つけたなら、私は絶対離れませんし、離しません(笑)
そして、出会う人同士は縁があって出会ってるんだと、信じたいんです。
隣の人を信じたくて信じたくてたまらない。
愛情を注ぎ、注がれ、感謝し、感謝され、そうやっていいサイクルに入っていきたいと思っています。
職場でも同じです。
職場は人間関係の縮図だと、思います。
そこで、うまくやっていけるには知恵がいります。
安心感という土壌があれば、成長していける素地がある人はどこまでも、自分を振り返って勝手に魅力的になっていくものです。
特に、女性は。
人は外の世界へ外の世界へと刺激を求める生き物です。
繋がりを強く求めてしまうのは、人間の本能だと思います。
しかし、自分の心の中を落ち着かせ、深く安心していくこと抜きに、本当の充実した時間を味わうことは、難しいのだと思います。
心の中は自分の家と同じです。
自分がいつもいる居場所である家の中を、そして職場を安心感で満たすこと、それが「母性型」です。